その強い意志の宿った瞳が、小さく揺らぐのを見てしまったから。
その固く結ばれた口元が、淋しげに歪むのを見てしまったから。
こんなにも俺は、浸蝕されて。


*Like a Romance*


住み慣れた自国のものとは違う色の空を見上げて、俺は小さく息を吐く。
何処にいても同じ空の下、と、詠ったのは一体誰だっただろう。
あの空とは程遠いこの場所は、あの場所とは繋がってさえいない。

あの空の下で、あいつは今何をしているだろうか。
あいつは俺を、覚えているだろうか。


***


俺が3年間の不在を皆に告げたときも。
突然のことにただただ驚く奴や、ぎりぎりになるまで告げなかった俺に憤る奴。
淋しそうな表情を見せる奴、俯いて涙をやり過ごそうとする奴。
そんな反応の中、あいつだけは眉一つ動かさなかった。

冷静でストイックだということは知っていたし、俺なんかのことでそれを崩す奴でないことも分かっていた。
どちらかというと情動的な俺はそれがやけに気に食わなくて、衝突ばかりしていたのだけれど。
だけど、そのときは何故か苛々よりも別の感情が先走って、胸が苦しくなったのを覚えている。
それを認めたくなくて、またあいつに突っかかったりもして。
何かを、求めていたんだと思う。そのときはまだ、それが何なのかは判らなかったけれど。

*

お別れ会と銘打ってみんなが企画してくれたその集まりにも、正直、来ないと思っていた。
何かの集まりに参加し、共に興じるのは好きではないのだと、仏頂面で豪語していたから。
しかも名目がいつも対立している俺のお別れ会ときている。きっと、軽くあしらわれるのがオチだろうと、そう思っていたのに。
俺の前に現れたあいつはいつも通りの無表情で、開いた口が塞がらない俺を後目に、スタスタと会場である先輩の家へと歩き出した。

目的地に到着し、沢山の菓子やら飲み物やらを両手いっぱいに抱えた友人達に促されて席に座ると、堰をきったように皆が騒ぎ出した。
そんな中、あいつだけはしゃんと背筋を伸ばし、皆から一歩引いた場所で、静かにその様子を見つめていた。
ただ、俺の方だけは頑なに見ようとしなくて。
俺はといえば、やっぱりあいつのそういう態度が癇に障って、ずっと苛々しっ放しだった。

結局、その馬鹿騒ぎが終わったのは、日付が替わってしばらく経ってからだった。
偶々家の方向が同じだったから、俺とあいつは、共に真っ黒な世界の中を歩いていた。
たった二人で帰っているのだから、少しは会話があってもいいようなものなのに、あいつはまるでこちらに取り合わなかった。
俺のことなど気にも留めないといったその様子に、苛々がどんどんと募っていって。
そんな状態のままあいつの家の前に到着したところで、俺は極力その不機嫌さを声に乗せないように別れを告げた。
それを知ってか知らずなのか、あいつはその口元を引き結んだまま、こくんと軽く頷いただけで、門に手をかけた。
そっけない態度に皮肉めいた言葉を投げ掛けそうになって、そこではっと口を噤んだ。
ふと振り返ったあいつの目が、俺を捉えたから。
月の逆光になって上手く読み取れなかったけれど、その瞳が何かを訴えている気がした。
慌てて引きとめようとしたその瞬間、あいつは身を翻して家の中に入ってしまって、結局何も訊けなかったけれど。

*

その後一度も会わないままに出発の日を迎えた。
空港内だというのにわあわあと泣きながら、手紙寄越せーだの生きて帰ってきてねだのと騒ぐ仲間達。
そんな喧騒から一歩引いたところで、あいつは何をするでもなくただそこに立っていた。
この前の夜の所為だったのかもしれない。その姿が、どことなくしおらしく見えたのは。

飛行機の搭乗時間まで、俺達は一言も話さなかった。
ふと、最後に声を聞きたいと、柄でもない感傷が湧いて出てきて、騒ぐ仲間達を後目にあいつに近付いた。
正面に立ってその目を見た瞬間にぱっとそれを伏せられて、少しだけ戸惑いを覚えた。
あいつが誰かから、何かから目を逸らしたのを見たのは初めてだったから。

いつもは腹が立つくらい強気な、真っ直ぐに前を見据えるその瞳が、長い睫毛で翳っていて。
じゃあな、と告げる自分の声が、微かに震えているのを感じた。

あいつは何も言わなかった。
開きかけたその口は、結局何の音も発さないままに、再び結ばれてしまった。
ただ、その端正な口元は、いつも俺と言い争っている時とは全く違う形に歪んでいて。
はっとしてその瞳を見直すと、三日月の形にそこに落ちた影が、ふるりと小さく震えた。

今まで見たこともなかったようなその様子に、こっちの調子まで狂わされた。
―見たことがない?否、一度だけあったはずだ。
その前の夜の別れの瞬間のあの瞳も、こんな色をしていなかっただろうか。
こんな、如何ともし難い感情を湛えた色を。

茶化すことさえ出来なかった。
まるで周りから切り離されたような空間で過ごす、永遠のような数瞬。
耳に入ってきた搭乗を促すアナウンスに我を取り戻して、掠れた声で再度別れを告げた。
返事を聞かないままに背を向け、ゲートへと向かい、人の波に乗りながらそれをくぐろうとした、そのとき。



「――――っ!」



俺を呼ぶ声が、聞こえた。
俺が発したものよりも余程掠れて、震えているその声で、あいつが俺の名を叫んだ。
人のざわめきの中、やけに大きく響いたそれに反射的に振り返ると。
縋るような瞳で、俺を見つめるあいつがいた。
何かを言おうとして開いたのであろうその口は、それ以上の音を出さないまま、動き方を忘れてしまったかのように固まっていて。
まるで今にも泣き出しそうに歪んだ表情が、必死に何かを訴えかけてきた。


***


それから、だったと思う。
あいつのことが、頭から離れなくなったのは。

出会った頃から、何もかもが気に食わなかった。
妙なところで拘って、変なところで意地張って。
事ある毎に俺の神経を逆撫でする癖に、自分は常にクールを装って。
まるで俺ばかりが振り回されているような、そんな焦燥に駆られるような感覚も。
全てが、腹立たしかった。

気に食わないなら放っておけばいい、相手にしなければいい、と思ったことも幾度となくあったように思う。
でも、現実は、あいつが視界に入っただけで、あいつの声が聞こえただけで、余裕がなくなってしまって。

きっと、囚われてしまったのだろう。
自分の進むべき方向に、何の躊躇いも無く突き進んでいくその姿に。
そうか、だからこそ。
その強さを秘めた瞳に、俺を映してほしくて。
その意志を湛えた唇で、俺の名を紡いでほしくて。
苛々ではない、胸の苦しさを訴えたのか。

そして今は。
最後に垣間見た、あいつの強さの裏に押し込められた弱さまでもに翻弄されている。
伏せった瞳が、震える唇が、俺をとらえて離さない。

簡単なことだ。言葉にするとたった一言のこの感情。
気付いてしまうと特別なことなど何もない。
それでも逆に戸惑うのは、気付いたところでどうしようもないからなのだろうか。
脳裏に焼きついたあいつの感覚が実体として認識される日は、この距離と同じであまりにも遠い。

届かない。
届かない。
届かない。

ああ、畜生。
会いたい、なぁ―――。
溜め息にも似た呟きに乗って、その想いが俺の口を衝いて出たそのとき。



「――――っ!」



俺を呼ぶ声が、聞こえた。
耳にこびりついて離れなかった音で、俺の存在が紡がれる。
人の喧騒の中、やけに大きく響いたそれに、あのとき、あの場所がフラッシュバックして。
咄嗟に振り返ると、人が前へ前へと流れる中、その波に逆らうように立ち止まる奴がいた。
真っ直ぐ前に、俺に向いた瞳と、しっかりと結ばれた口元と。
いつものあいつが、そこに在った。


ご都合主義のハッピーエンド小説なんてまっぴらだ。
そう思うのは、単なる俺のやっかみで。
実際、それが自分の身に起こったら、それはどんなに嬉しいことなのだろう。


と、それはそうなのだけれど、あまりにも唐突に、あまりにもありえない状況が目の前で展開され、茫然自失の混乱状態に陥る。
共に過ごしたところから、一万五千キロも離れた空の下、たった数メートルの距離。
俺の思考を占領してやまなかったその存在が、今、そこに在る。

ぽかんとしたまま固まってしまった俺が面白かったのか、そいつはその硬い相好を少しだけ崩し、そして俺に歩み寄ってきた。
もう、手を伸ばせば届く。
その事実に思い至った瞬間、いてもたってもいられなくなって、俺は自分と数センチしか変わらないところにあるその形のいい頭を肩口に引き寄せた。
ぽふん、と、案外あっさり収まったそれを掻き撫ぜると、微かに身じろぎする気配が伝わってくるのに少し遅れて、抑えたトーンで離せと呟く声が耳に入ってきた。
この状況でさえ変わらないそいつの様子に苦笑しながら手を退ける。
瞬間、俯けられたその顔が真っ赤に染まっているのが視界に飛び込んできて、不覚にも俺の心臓が跳ねた。
出会ったそのときに高く築かれ、数ヶ月前にひびが入った壁が、音を立てて崩れていく。
ああ、どうしてこう、こんなにも。
こいつは俺を、掻き乱すのか。

不意にもう一度伸ばそうとした手をぱしっと弾かれて、俺は少しだけ我を取り戻した。
そんな俺を見て溜飲を下げたのか、さっきまでの反応は何処へやら、目の前の奴はいつもの不遜な態度に戻る。
会いに来てやった、と、少し低いところからの上から目線で告げるその瞳に、翳りは無い。
腹が立つようなその態度でさえ可愛いと思ってしまうのは、その裏に隠しているものを知ってしまったから。
それに、顔に差した朱が引いていないままに睨みつけられても。

必死に虚勢を張る目の前の奴に軽く笑い掛け、その腕を引いて歩き出す。
それは長い間外にいたのであろうことを思わせる程に冷え切っていて。
そういえばこの異国の地で、どうやって俺を見つけ出したのだろう。
不思議に思って問うてみると、俺が掴んでいない方の手で、俺が通う大学を指差された。
その場所から此処まで、ざっと500メートル。

俺が出てくるのを門の前でひたすら待って。
見つけたのはいいものの声を掛けるタイミングが掴めなくて、500メートルの間ただただ後をついてきて。

その光景を想像して無性に嬉しくなった俺は、掴んでいた腕を一度離して、その手を強く握りなおす。
離れんとでもするかのように動いた指も、次の瞬間には力が抜けた。
握り返してくれるだろうかとふと期待して、自分のその考えを心のうちで笑い飛ばす。
大人しく俺に掴まれていることが、こいつにとっての最大限の感情表現。
傲岸不遜で意地っ張りで、素直になれない奴だから。

取り敢えず今は、隣に並んだこいつに、温かいココアでも振舞って。
そうしてこの冷えた指が温まったら、今度は俺から歩み寄ろう。
衒った言葉も演出も、何ひとつ用意できないけれど、その方がきっと俺達らしい。
遠い遠い距離を縮めてくれた礼に、柄でもない台詞の一つや二つ、口にするのも悪くない。
不器用でどうしようもない俺から、不器用でどうしようもないこいつに、素直な言葉を贈ってやろう。



同じ空の下で、俺達はこうしてここにいるのだから。










***

どうも半年振りになるらしいです非常に土下座な気分です。
しかも半年振りでこれかいと。ええ存分につっこんでやって下さい。
えーっと…います、モデル。かなりねじくてますけど。分かった人はにやけてやって下さると嬉しいです。
因みにタイトル。Romanceだけで『小説のような』っていう意味があるそうなのですがあえてLikeを付けさせて頂いたのは個人的にニヤニヤしたかったからです(なんてこった)。

こんなかわういつんでれちゃん(?)と巡り会いたいです。まじで。
そのうち逆視点も書いてみたいと思ってすぐに諦めました。私にかわういつんでれちゃんの心理描写なんて出来るもんか。
にしても私が恋愛モノっぽいのに手を出すとなんかどっかが間違った方向に走ってる気がしてなりません。気のせい…ですよね、ええ!

そんなこんなで非常に如何ともし難い感じになってしまいましたが此処までお付き合い頂き有難うございました。
誤字脱字その他正常でない部分があればこっそりと教えて下さいです。



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