……寒い。
俺は言う事を聞きたがらない自分の身体を無理矢理叩き起こして布団から出た。
午前八時。まぁこんなものだろう。
二年前から俺も社会人になったのだから、ギリギリで会社に間に合う時間くらい心得ている。
俺は朝飯を食べて、最低限の身嗜みを整えると、冬の冷気の中に踊り出た。
もう12月だが、流石に未だ雪は降らない。
此処らは毎年クリスマスイブ周辺に雪が降る。何故だかは判らないけれど、昔からそうらしい。
地球温暖化が進行している今日此の頃、雪が降るのは遅くなる事はあっても早まりはしないだろう。
俺は会社まで徒歩15分の距離をのんびりと歩いていた。
車には乗らない。免許を持っていない訳では無いのだが、折角綺麗な空気が吸える朝の貴重な一時にそんな野暮な事はするまい。
冬の外気は好きだ。冷たくて透き通っているから。
不浄なモノが全て浄化されていくような、そんな気分になる。
まぁ、実際はそんな事は無いのだろうけれど。
そんな事を考えていると、俺は何時の間にやら事務所の前に立っていた。習慣って怖い。
腕時計を確認する。時間はピッタリ。さぁて今日も一日頑張りましょうか。
*幸せ宅配便*
「お早う御座いま…」
“ぎゃぎぃぃんっっ”
オフィスに入った瞬間、物凄い勢いで何かが飛んできた。
「遅いっ!!二分二十三秒の遅刻だ!何をやっていたんだ!」
「二分にじゅうさ…たった其れだけの為に俺殺されかけたんすか?」
咄嗟に避けたから良かったものの、背後のドアを見るとピンヒールが突き刺さっていた。
「煩いっ!こっちは夜通しガキのお願い聞いてて一睡もしてねぇんだ!
お蔭で化粧乗んなくて苛々してんだよ!テメェ此れがどんな由々しき事態か判ってんのかコラ!」
「はい…すみませんでした…」
……今日も恐ろしいな、所長。
この美人でクールなオネーサンはうちの事務所のトップ。
うん、美人なんだけど…はっきり言って大魔王。
どの位恐ろしいかはいうまでも無い。
敢えて言うなれば、ピンヒールをドアに突き刺すのがどんな人間離れした技か想像してくれ、だな。
今日の刺さり具合は3,5cmと言ったところか。いつもより0,3cm深いな。これは相当ご立腹のようだ。
「ッたく…やんなきゃなんねー事が山積みだよ」
「って事は、増えたんですか、仕事」
「んん、まぁ、増えた分もあり減った分もあり、って所だけどな」
「あぁ…それは大変ですね。去年のデータの改変とか」
「そう。あ、因みに今年はシャチのぬいぐるみはいらねぇぞ。あそこの会社倒産した」
シャチ…?俺去年そんなモン届けた記憶無いんだけど…って、もしかして……。
「鮫、じゃないですか?てかあの子の家潰れたんですね」
「可哀想に、親が二人共自殺したらしい」
「じゃあ、今年はサンタさん諦めるしかないですね、あの子」
「そう、だな…ったく、そんな可哀想な子が居るってのにどこぞの馬鹿親は呑気に犬型ロボットなんて注文してきやがるし」
「そんな言い方しちゃ駄目っすよ。一応それで食わしてもらってんですから」
「睡眠と引き換えにな」
「まあまあ…俺等は幸せを届けに行くんですから」
あぁ、そろそろ、社会においての俺達の会社の役割を説明しようと思う。
俺達がやっているのは、子供に夢を与えるクリスマスの不法侵入者、つまりサンタクロースみたいなモンだ。
子供の欲しがる物は、仮令それがツキノワグマだろうがひっ捕まえて届けに行く。それが俺達の仕事。
まぁ、未だにそんな無茶な注文は聞いた事ないけど、な。
「あ〜…じゃあお前、あいつが来たら一緒に犬型ロボットの子の周辺の下見行って来てくれ」
「あいつって、あの、先輩の事、ですか?」
「他に誰が居るんだ。此処の支部は私とお前とあいつの三人だけだろ。不服か?」
「いえ、そういう訳で…わっ!」
噂をすれば何とやら。
その噂の元が急に俺に飛び掛ってきた。
「ぐっっっも〜〜〜にん!時化たツラしてご機嫌麗しゅう〜!」
「先輩こそ、朝っぱらからハイですね」
「あったりまえサ☆沈んでちゃこの世は渡って行けないゼ☆」
「どうでもいいですけど語尾に“☆”とかつけないで下さいよ…」
「アレ?気に入らない?」
「そういう訳じゃなくて…」
俺は続きが云えなかった。背後から迫ってきている物凄くどす黒いオーラに気付いてしまったから。
ゆっくりと振り向くと、美人所長改め大魔王が、ペンを五本ほど構えて俺達を見ていた。
しかも笑顔で。
俺、生まれてこの方こんな怖い笑顔見たこと無いわ…。
「テメェ等…騒いでないでとっとと仕事に行ってきて下さいませんかねぇ?」
「仕事ったって俺来たばっかで何も聞いてな」
「行ってきます!逝ってきますーーー!!!」
俺は生命の危機を感じて足早に事務所を飛び出した。
自分で言うのも難だが、二回目の“逝く”の変換は中々状況を的確に表現していると思う。
「な〜あ〜、何で急にひっぱりだすのさ〜。俺まだ今日の所長に挨拶してないよ〜」
「挨拶云々の前に命の危険を感じ取って下さい」
「ってことは、今日の所長はご機嫌斜め?」
「斜めなんて可愛いもんじゃないですよ。九十度直角急降下です。何でも徹夜開けで化粧が乗らないらしいっすよ」
「そ、それは大変だ…美人だけど二十代後半でそろそろ危なくなってきた所長の顔に化粧が乗らなかったら……ヒィィッ」
「それ本人の前では絶対言わないで下さいね。俺までとばっちり食いそうです」
「だ〜いじょぶだいじょぶ。俺もその位判ってるって〜」
本気で判ってんだろうか、この人。
因みにこの変なテンションのにーちゃんは俺の職場の先輩、詰まりサンタクロースの一員って訳だ。
ったく、こんな落ち着きの無いサンタクロースが何処にいるってんだよ。
あ、サンタ自体居ないのか。
「じゃあ、昨日承った依頼人の家の近く、行ってみましょうか。……あ」
「ん〜どしたの〜?」
「地図…慌てて飛び出したから」
「あ、それなら大丈夫。俺が所長のデスクからバッチリ引っこ抜いてきた!ついでに子供の写真も」
「あ、有難う御座います…」
この先輩、おちゃらけてそうだけど仕事は出来るんだよな…。
ま、仕事が出来なくちゃ、とっくにあの所長に追い出されてるけど。
あの職場でヘマ起こしたら、追い出される前に殺されそうだけどな。
「あ、あの子じゃねー?ホラ、えっと…ナントカって会社の御曹司」
「御曹司って言い方は微妙ですけど…そう、ですね。新しいターゲット」
ターゲットって言い方も無いだろ、と先輩は笑った。
サンタといっても今は昼間の下調べ。仕事用のスーツで働いている俺達が“ターゲット”なんて言ったら、まるでどこぞのスパイである。
まぁ、今の子供にゃサンタよりも受けが良さそうな仕事だけど。
「ん〜…今度のガキも軽ぅくちょろまかせそーだぜ?ホラ、部屋は一人部屋だしでっかい窓までついてる」
「全く最近の子供ってば俺よりいい部屋住んでるんですからね」
「子供が全員って訳じゃないだろー。ホラ、あの女の子なんて髪の毛ボサボサだし」
「あれ?あの子って…そうだ。去年俺達が届けに行った子ですよ、でっかい鮫のぬいぐるみ」
そう、それは丁度今朝所長と話していた、例の一人身のあの子だった。
「え?あ、あ〜!でも何か全然雰囲気違くない?俺等が届けに行った時ってもっとお嬢様然としてたじゃん」
「この前倒産したんですよ、あの子の親の会社が。因みに両親も死んじゃったんですって」
「そっか…。ふぅむ、子供も大変だねぇ。…可哀想だな、あの子」
「オモチャあげに行こうなんて言わないで下さいね」
そう、俺達がやっているのは金儲けだ。慈善事業なんかじゃない。
金にならない仕事は、仮令情に流されそうになっても、決して手を出してはならない。
そういう、掟なのだ。
「わぁってるよ。じゃ、そろそろ帰ろうぜ。所長が淋しがってる」
「そんな訳ないでしょ、あの所長が」
「いや、俺には判るんだ!所長の『淋しいの!早く帰ってきて!!』って声が電波で飛んできてるから!」
「あーはいはいはいはい。じゃあ帰りましょうか」
俺は先輩を宥めながら、後ろ目であの女の子を見てみた。
少し淋しそうに見えたのは、俺の気の所為だろうか?
「さっさっさーめのぬーいぐっるっみ〜♪」
「先輩なんなんすかその歌」
「ん〜?去年作ったの〜。中々気に入っちゃってさぁ」
「………」
「あり?駄目?良い歌じゃない?」
『おーい!今年は去年より時間が押してんだぞー?判ってんのか?だべってないでとっとと済ませて来いって』
そうして迎えたクリスマスイヴ。
俺達は三分の二程のプレゼントを配り終えて、ここらでちょっと小休止。
尤も、無線から聞こえる所長の声は先を急かしているのだが。大丈夫、夜は長い。
あ、勿論の事今日は赤い帽子にふわふわの白髭のオプション付きだ。雪が降っている中でも暖かい事この上ない。
きっとサンタ宅配の創始者はそれはそれは寒がりだったんだろうな…。
「うしっ!じゃあ残りの家にも、とっとと幸せを届けに行こうじゃないか!」
「つっても、俺等が届け物しに行く家の子なんて皆幸せじゃないですか」
「んん、まあね〜。んじゃ、ぱぱーっと行ってきます、所長。……って、所長?」
『…………』
「あっれー?所長出ねぇじゃん。おっかしいなー」
「男としけこんでんじゃないですかー?クリスマスだし」
「いや!俺の所長がそんなことをする訳が無い!」
「アンタ何幻想見てんですかこんな時に。所長が居なかったら仕事出来ないですよ」
そう、ウチの事務所は貧乏だから、GPSなんて上等なモンは搭載出来なかったのだ。
仕方が無いから所長が家と子供とプレゼント照合して道筋を無線でナビしてくれるって訳。
「いやそれは大丈夫なんだけどね。俺が覚えてるし。それより所長〜…浮気ヤメテ〜……」
「アンタ所長のなんなんですか!」
こっそり俺も狙ってるのに、とは言わなかったけど。
ってかこの先輩さっき覚えてるとか言わなかったか?
何か…改めて超人ばっかだ、この職場。ちくしょー。
「くそぅ…こうなりゃいつもの五倍速で仕事終わらせてたったかたーと事務所に戻るぞ!運転代われっ!」
「って、ま、ちょ、うぅぅわっ!落ち着いて!わぁっ!!」
為すが侭、とは当にこういう事なのか…とか考えていると、ごつんという音がして急に意識が遠のいてきた。
皆さん、シートベルトは締めましょう。
「お〜い〜!起きろ〜〜!!サンタが鴨背負ってやってきたぞ〜!」
「葱が足んないです先輩…って…あれ?あ、仕事!」
「お子ちゃまな君が寝てたから僕が全て終わらせてきてあげたよ。全く世話が焼けるなぁ」
「何キャラっすか。それに俺は寝てた訳じゃなくて気絶して…」
と、ふと時計を見ると、時間的には俺等二人でやるのと五分位しか変わらなかった。
俺どんだけ役立たずなんだよ…。
「じゃーさじゃさじゃさ、事務所に帰って所長お手製のケーキ堪能しようぜっ☆」
「そう、ですね…」
あの所長、見掛けに寄らず料理上手。
何てまぁこの事務所はジェネラリスト揃いなんだろうねぇ……。
「たっだいま戻りましたぁ所長っ!ケーキケーキケーキ!!」
「あ〜…今年は時間が無かったから作れなかった」
…………………………。
って沈黙長ッ!痛すぎだろこの時間。
「しょちょ〜…そんなの非道いっすよ〜…俺ケーキだけを楽しみにして今年も頑張ったのに…」
「あれ、そういえば所長、途中どっか行ってたんすか?コート…」
俺が指差した所長のコートには、この暖かい室内をもってしてもまだ解けきっていない雪が付いていた。
「ん、あ〜…てめぇそういうトコだけは目敏いのな……いや、大した事じゃねぇよ。偽善振りてぇ訳じゃねぇ」
「………?」
「まぁ、その話はいいじゃねぇか!私が作ったのは無いけどケーキはちゃんと準備してあるし」
「わほっ!所長太っ腹!」
「俺、ちょっと其処らでワインでも買ってきますよ」
少し行きたい所もあるし…とは言わなかった。
「お、さんくー!俺赤!」
「私は白がいいから白にしろ」
「んじゃあ白で」
勿論所長が優先だ。
「じゃ、行ってきまーす」
俺は泣いている先輩を尻目に(嘘泣きバレバレだ。演技力つけましょうや先輩)事務所を出た。
とある物を持って。
「あわてんぼうのーさんたっくろーすー」
クリスマス前にやってきたっと。
まぁ、今日は既にクリスマスイブからクリスマスへ越える為の聖なる夜だ。もうこの歌は時期外れかも知れないけど。
取り敢えず俺は今、鮫のぬいぐるみのあの子の家の前に居る。
情に流されたんじゃない。只の俺の気紛れだ。
会社の仕事じゃなくて、俺自身の気紛れ。それなら別に何も問題は無い筈だ。
去年はホオジロザメだったから、今年はジンベイザメ。
そんなちょっとした洒落を効かせつつ(洒落てるかどうかは判らないが)俺はこっそりと侵入した。
入社二年目なんだ。鍵開けくらいなら俺だって心得た。
そうして、彼女の部屋に入って、
その瞬間、俺は目を疑った。
彼女の枕許には、それはまぁ見事なお手製の“鯨殺し”シャチのぬいぐるみと、既製品であろう大王イカのぬいぐるみが眠っていた。
それを見た瞬間に全てを察した俺は、其処にもう一つジンベイザメを加えて、こっそりとその家を後にした。
敢えてそれをやった人達の名は出す必要も無いだろう。
彼女の両親は既に此の世には存在しない。そんな事が出来る筈が無いのだ。
ともすれば………。
俺はその人達の顔を思い浮かべて、人間もまだまだ捨てたモンじゃないよなーと思いつつ、クリスマスの町並みに加わった。
お疲れなあの人達の為に、とびっきりのワインを買って帰ってあげよう。
+後書き+
はい、と言う事で御座いまして、クリスマスフリー小説『幸せ宅配便』でした。如何でしたでしょうか?
よくありそうな話を如何に面白可笑しく語れるか、が今回のコンセプトです(まじですか)。
個人的には成功の部類に入るんじゃないかという出来ですね。ていうかクリスマスに間に合って良かったです(笑)。
えと、特別感謝は今回も鋭く痛いツッコミでこの作品をギリギリ人様の目に晒してもいいレベルにまで引き上げて下さったオニーサン。
この場を借りて、有難う。
フリーにしては少し長めになっちゃいましたけど(それでも一頁に収めるという荒業)、良ければ貰っていってやって下さい。
フリーなので勝手に持っていって下さってもいいですが、その場合は斑咲の名とサイト名(リンク)を載せて下さい。
著作権云々その辺の事は難しくてよく判んないんですけど(汗)、斑咲の作品だって事が判るようにして頂ければ。
報告は任意ですが、お知らせ下さると管理人踊り狂います(ェ)。
ではー、読んで下さって有難う御座いました!
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